書く練習、描く練習、もがく練習

twitterばかりで長い文章や残っていく文章を書けなくなったのでその練習です。日々のこと、見た作品のこと、創作についてブログしていきます。

ずるずる-なんにもやりたくない日-

最近寒くなってきました。布団から出るのは苦ではない自分ですが家から出るのが嫌です。

 

最近はもう大学の講義も終わりめんどっちいテストを残すのみなんですが、全く家から出られないんですよ。困っているというか自分に呆れてる感じ。

家事もおろそかになっててその原因は最高に最高を重ねたポケットモンスターサンムーンってゲームのせいなんですよ。

 

朝起きてDS開いてあとは何をするときも開きっぱなし。

そのせいでテスト勉強も支障きたしまくりで進まず、料理も適当みたいなここ2週間です。

なにより1月の砲雷撃戦の原稿をしっかりやってないのが本当にまずい。

 

近くの図書館にこもればちゃんと作業できるんでしょうが起床からポケモンに縛られていて家から出られない。

うーーん。

 

この前のテストも周りは軒並み高得点なのに自分はギリギリ合格だし……

ポケモン以外何もしたくないくせに一日が終わると自分に嫌気が差す。

そんな毎日をぐるぐるしています。

 

ああ、どうにか打破したい……!

墜落-教えてください、あの結末-

※※※この記事は「仮面ライダーオーズ」と「キルラキル」のラストのネタバレをもりもりに盛り込んでいます。どっちもとても面白いのでネタバレを踏まずに見るつもりの方は読まないほうが吉です。※※※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仮面ライダーオーズの話。

この前ツタヤでレンタルしまくって仮面ライダーオーズを見終わりました。(お金を考えて今はAmazonプライムに加入しました。)

オーズの面白さはメダルの有限性だったり、アンクとの捻れた関係であったり、コンボの多さだったり、メダルという扱いやすいオブジェクトだったり、登場人物が皆絶対に譲れないものを1つ持ってぶつかり合うところだったり、撃破した幹部が倒されっぱなしじゃあなくて復活したり、カマセみたいなウヴァさんだったり、だんだん可愛く好きになっていく比奈ちゃんだったり、真似したくなるような登場人物の特徴のある声だったり、1つの記事で書き尽くせないんですけれども。

今回は最終回の最後、メダルの器になったウヴァさんを撃破したところについて書きたいと思います。

渾身のタジャドルも解け、落下するときに最期アンクが映司に「お前の掴む手は……もう俺じゃあないってことだ……」と言って消えます。(号泣した)

気を失ってる主人公を起こし、最期別れを告げて相棒は去り、地上にいる仲間に助けてもらう。

あれ、これって…………

 

 

 

キルラキルですよね……?

 

待って下さい、もうちょっと辛抱して読んで下さい……

キルラキルのラストについて。

もう2年前のアニメになるんでネタバレしても良いかな?と思いましたが一応ブログの頭に注意書きを。

キルラキル、主人公の纏流子がラストバトルを宇宙で終えて、落下していきます。相棒のセーラー服"鮮血"は大気圏の摩擦を自分が受け止め流子を守りながら燃え尽きていきます。鮮血は「セーラー服とは卒業するものだ。これからは好きな服を着ろ。私よりも可愛い服を、な。」と言って流子と別れます。その後気を失った纏流子は地上にいる仲間に名前を呼ばれ、素っ裸なヒロインや素っ裸の20歳の男子高校生や素っ裸なおっさんやおちんちんまる出しの男の子や素っ裸な犬(当たり前では?)に受け止められます。

ほら!似てるでしょ!ほら!

この2つのラストについて

このラストの良いところは「考えてみれば最初から別れることが決まっている二人が、別れてほしくないという視聴者の期待をしっかり裏切り(良い裏切り)、それでいて消え去る方は何も後悔することなく満ち足りていて、さらにまだ生きていく相棒(主人公)の背中をしっかり押していく。あと空から落下って絵として綺麗だよね。」っていうところだと思います。

 

この構図よくあるものなんでしょうか?

 

自分が好きになった作品が2つとも同じ終わり方で結構見ていて驚きました。

メタ的に見るとキルラキルの脚本の中島かずきさんはオーズの次、フォーゼの脚本をキルラキルの前にやっていて特撮が好きなので影響されたのかな、とも考えられます。(それはそれで好きな脚本家さんが好きなものを自分も好きという構図になって自分としては得。)

でも時期が近くそんな被せてくるのかなあ、という気もしますし、細かく見ていくと相違点はありますし、自分が好きな作品をすぐにキルラキルグレンラガンに同一視するのであんまり信用なりません(ポケモンサンムーンのシナリオもキルラキルっぽいと言ってしまうほど)。

そこで思いついたのが「2作品とも何か同一のルーツみたいなものがあって、小林靖子さん、中島かずきさんの2人がそのルーツから独自の昇華をさせたのでは?」という考え。

 

 

自分なりの答え。

僕は昔の作品なんて全然わからないし、小林靖子さんも中島かずきさんも何に影響受けたのかもきちんとは知りません。(中島かずきさんが「カエアンの聖衣」にとても影響を受けたのは知ってます。これもとても面白いので是非。)

なので正確な答えが出せるとは思いませんがこんなラストを何処かで見たなあと思い出したんです。

 

サイボーグ009……?

 

サイボーグ009もちゃんと追えてないんですがサイボーグ009のラストで宇宙に放り出されたジョーをジェット・リンクが尽力して助け「ジョー、君はどこに落ちたい…?」と言いながら二人は流れ星になる、っていうラストっぽいなあと。(さっきまとめたラストの共通点は「仲間と一緒に空から落下する」しか合ってないんですけど!!!!)

なんで自分がサイボーグ009のラストの記憶を持っているのかもよくわからないのですが、自分が思いつく限りではこれくらいです。

こういう空から相棒と一緒に落ちるラストが果たして世の中にどれほどあって、小林靖子さんや中島かずきさんに影響を与えたのか与えてないのか、同じルーツを基にしているのか、どれも正解があるかもわかりませんが今自分が考えていることを曝け出してみました。

 

何かあればコメントお願いします。

 

久しぶりに動物性タンパク質を食べました……!

友達-部活にいる35くらいのおっさんの下級生-

友達って言葉難しいと自分は思っていて「こいつ、俺の友達だから」とか「お前友達だったらさあ」みたいに本人が目の前にいるのに友達と言うのや行っているのを見るのがとっっっっっっっっっっても苦手です。

頻繁に友達って言う人を見ているとなんなんだ、お前、何様だ。って感じがとてもする。

なので自分は友達という言葉を使うときはその本人がその場にいないことが条件かなあと思います。多分こんな捻れた歪な感じ(だと自分では思う)になっているのは自分の中で友達の定義がよくわかっていなからだと思います。

仮面ライダーフォーゼの如月弦太朗は「本気を見せあったら友達だ!」と言ってましたがあの気概は半端じゃあないですよ。友達はオーズ/OOOが大好きでその後フォーゼ見たらフォルムもかっこ悪くてあんま好きじゃあないって言ってましたが僕は先にフォーゼを見たんでどっちも好きです。

 

友達の定義が曖昧で人を友達と非友達に分けるのも難しいんですが、その中でも自分が「この人友達なのか、そうじゃないのか?」判断付きづらい人がいます。

 

「部活の後輩だけど15歳くらい年上で、お互い敬語を使ってるけど趣味は合う」

その趣味っていうのも前回ブログで書いたモーモールルギャバンのことを話すことで、これができるのは大学でこの人しかいないんですよ。

自分はまさかモーモールルギャバンを知っている人が近くにいるとは思わなくてCD流してたら「あ、先輩モーモールルギャバン聞くんですか?」って言われてそこから話がはずみました。

それからCD貸してもらったりライブDVDやアニメのプラネテスのDVD貸してもらったりしました。(貸してもらってばっかだな……)

 

それまでは15こ位年が上の後輩というとても話しかけづらい立ち位置で向こうもそこまで積極的に話す人ではないので難しい距離感だったんですがいつの間にか部活で毎回話すような関係になってました、不思議なものです。

 

ふとしたきっかけで共通の趣味が見つかることもあるし果敢に自分の趣味をさらけ出すと良いのかなあと思いました。

 

でもまあ、めちゃくちゃおとなしい35歳が「君は不細工だけど君のパンティは美しい」とか「これがJPOPの限界だァ!」つって自分のパンツ客に投げるようなアーティスト好きだとは思わなかったよね。面白い。

サノバ・ビッチェ-辛い時に元気をくれる曲-

僕は特定のアーティストだけがめちゃくちゃ好き、ということはなくて半年に一度くらいで転々と推しのアーティストが変わります。上半期は「宇宙パトロールルル子」のOPを歌っていた「フジロッ久(仮)」で今は「モーモールルギャバン」。

どんなアーティストの曲を聞くのでも自分の好きな曲には3種類があると思っていて、①どんなシチュエーションでもテンションを上げられる曲

②気分が沈んでいる時に助けになる曲

③気分には作用しない、聞いていて心地いい作業BGM

に分けられます。

 

①は例えばルル子のOPの「CRYまっくすド平日」、同じフジロッ久(仮)の「ワナワナ」、他には「シュガーソングとビターステップ」とか

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シリウス」「サンビカ」とか(藍井エイルさんお疲れ様でした。寂しいけど無理に帰ってきてほしいとかいうのは違うよね)

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「ENERGY SMILE」とか

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「ユキちゃん」とかポケモンのチャンピオン戦BGMとか。こういう曲は楽しい時はもっと楽しくなるし落ち込んでたり眠かったりしても強制的にテンションを上げられます。欠点としては体力を使うんで楽しい時、頑張りたい時はいいんですが辛い時に無理にテンション上げてもその後フィードバックで疲れます。そういうときは自分でもドン引きするほど気分が沈んでどうしようもなくなります。2016年、今までの人生でないようなショックな出来事が5つくらいあってめちゃくちゃ凹んだ時期があって、その時に①の曲だけじゃ精神枯れる!と思いました。(ただ①の曲が自分の好きな曲の中では一番多くて3つの中では一番好きなジャンルです)

 

 

そこで見出したのが②の曲で、テンションを下げないと言う意味では①のような気がするんですが、①が引っ張り上げる曲なら②は下から支える曲です。

昔から好きだった曲としてはMr.Childrenの「HERO」とかキロロの曲とか。

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2016年何度かのショックを支えてくれたのはモーモールルギャバンの曲でした。

その中で一曲挙げるとしたらタイトルの「サノバ・ビッチェ」です。

 

サノバ・ビッチェ。

 

自分も友達(といっても同じ部活にいる下級生の35歳位のおっさん)からCDを借りてタイトルを見た時サノバビッチのもじりの曲なんてネタ曲かシャウト系だろうと思っていました。

まあ確かに叫ぶのが芸風のバンドなんですがうるさくはないです。(youtubeに上がってるライブのやつうるさいな……)

自分はサノバ・ビッチェの歌詞にめちゃくちゃ驚いて力と勇気をもらいました。

「ワイルドな俺のさだめ いつも夜に震えて 叫ぶ歌声が響き渡る 近所迷惑」

「ハンサムな俺の 辞書は不可能の文字だらけ」

「脳天気だぜ 傷は深く それでも強く」

と3つ続きます。この曲の「俺」は自分自身がワイルドでもハンサムでもないことを自分では知っていてそれでもなおワイルドやハンサムを周りに自称する。けれど夜一人になってみると不安や寂しさ悲しみに襲われるの毎日。そんな苦悩を断ち切るために叫んでみるも周りには受け入れられるどころか嫌われる。そういう良くないけど断ち切れない自分の性格とそれによる悪循環が初めて聞いた時とても共感できて、しかもそんなネガティブな感情を見栄を張る自分に例えて明るく歌っているのが衝撃的でした。

 

しかもこの曲「俺の屍を越えてゆけ」という叫びで終わって、それがやっぱり自分を支えてくれるんですよ。ワイルドとかハンサムだとか色々言う自分は屍で、しかもこの「俺」は自分が本当にワイルドやハンサムになりたい、と願うんじゃあなくて「俺」の声が届く人へ自分を越えていってくれと言うんですよ。それに僕はとても支えられました。「ああ、こういう生き方をしている人が応援するなら自分はちゃんと生きていけるなあ」と感じました。

何かキラキラしている人に「お前も頑張れよ」と言われても泥の中で這いつくばってるこっちとしては全く心に響いてこない。でも同じ泥の中でもがいてる奴がいてそいつが「俺の屍を越えてゆけ」と言っていたら頑張ろうと思えるんですよ、僕は。(同じ泥のでもがいてる奴を蹴落としたいとかではなく。)

 

 

このモーモールルギャバンってアーティストは基本的にとてもネガティブでそれをポジティブに歌っていて、「琵琶湖とメガネと君」って歌では「君が大好きでたまらないから君のメガネをぶっ壊して目を見えなくさせて二人だけの世界を作ろう(歌詞の要約)」と歌うんですよ。

無いですけどきっと自殺を歌にしたら「はぁ、もうキツイ、死のう……」とかではなく「俺は死ぬぞ!最期の瞬間まで俺は俺に微笑んだ君の事を想ってあの世に行くよ!その時の君のパンティはピンクが良いなあ!」みたいに歌うと思います。

現在他にもそういうアーティストはいっぱいいると思いますがこの泥臭さ、童貞臭さを匂わす(ブログで京都在住時代に童貞を捨てたと公言してるけど)モーモールルギャバンに会えて2016年下半期は良かったなあと思うのでした。

 

2000円で今週食費抑えられそうです!全食家で食べればいいと気づいたけれどハンバーガーとか揚げ物とかそういうものが欲しくなる。豆腐と納豆と卵がタンパク源です。

死中の活-艦これ劇場版とキルラキル-

前回の書き忘れというか前回とは違う話なので記事を分けました。

前回、如月が復活するものの深海棲艦化してしまう、という展開は書きましたが彼女は劇の終盤まで自分が深海棲艦化してしまうのに怯えて泊地に閉じこもります。

一方吹雪達が攻め込む海域は海の色が赤くなっていて深海棲艦以外の艦は蓄積ダメージを食らう。ラスボス前で苦戦する吹雪、睦月、大和の前に意を決した如月(ほぼ深海棲艦化してる)が颯爽と現れて助けるんですが映画の中でここがめっちゃ好きです。

 

自分は深海棲艦化しているから海域ダメージを食らわずに艦娘よりも早いスピードで航行して追いつけて、根っこは艦娘だから深海棲艦に対して攻撃できる。

全然劇中では言わないんですけど「確かに私は艦娘でもなければ深海棲艦でもない!」「だが同時に私は艦娘であり深海棲艦であり、すべてである!」って感じ(キルラキル24話)がして如月だから間に合って主人公を助けられた。

「なにをわけのわからないことを言っている!」って言われたら「それが私ってことだよ!」と返したくなりますね!!

 

如月はどんどん深海棲艦化していく中で仲間の艦娘を攻撃してしまうかも、という疑念に襲われて艦娘としての自分がどんどん死に追いやられるんですが(深海棲艦化する自分の皮膚ゴシゴシ擦るとこ、よくあるシーンだけど艦これでやるとは思わんかったよね!)だからこそ吹雪を助けるのに間に合ったんだ!って感じも死中の活で好きです。

それで艦娘を助けたことで艦娘としての自我も取り戻して浄化されるってのは見てて気持ちよかったです。

「死ぬ気か、如月」「いーや、ここが活路だ!」とは如月のキャラとあのムードでは絶対ない掛け合いでしょうけどw

 

海域が赤くなってるのは生命繊維の赤でアイアンボトムサウンドから地球の天種繭星(あまつだねのまゆぼし)化が進んでるって考えたらやっぱりキルラキルだし、艤装は超硬化生命繊維からできてて、艦娘の生体電流を元に駆動してるってのが納得いく説だと思いますね!(今思いついた)

 

まあ、前回もちょっぴり触れてtwitterでも言われてるんですけど吹雪のラストの決着の付け方に根拠や過程がなさすぎるってのは自分でも思います。でも自分は「なんだか何も伏線も過程もなかったけど主人公が『自分って皆の希望なんだ!前に進もう!』って唐突になるの笑えるよね(仮面ライダーっぽいっていう言葉を見かけた)」って見方で映画館に座っていたし「や、そんなのどうでも良くなるくらい如月転生楽しかったよね?」と声を大にして言いたいです。

吹雪がうんぬんかんぬんみたいなのは他の人が言ってくれてるからあんまり自分は言及しなくていいかなーと思ってます、そこに重点置きたいわけでもないんで。

 

ではまた。

今週食費2000円で暮らしてかなきゃいけないのめっちゃつらいです……

 

殺し直し -艦これ映画感想-

昨日艦これの映画を見てきました。艦これはもうあまりログインせず好きな艦娘の絵を書くだけ、みたいになってます。アニメの頃はがっつりはまっていてイべントの時にボスBGMがアニメの曲だったりしたのはすごく好きでした。

アニメの方は色んな所で取り沙汰されて「脚本がゴミだ」「艦娘のキャラ崩壊だ」「バトルがCGで動きがしょぼい」「提督はいないし何がしたいのか不明」を中心にぶっ叩かれまくってるのはご存知のとおりかと。可哀想に扱われた艦娘(如月、足柄あたり。彼女たちにあんまり思い入れがないからダメージが少なかったのかもしれません)もいました。

自分も「バトルがCGでしょぼい」「キャラクターと脚本に一貫性がない」のは不満でしたけどその上で楽しめました。OPやEDは今でも好きですし純粋に艦娘同士が会話して同じ空間にいる(ゲームでは皆一方的なボイスが大半だったからゲームでできないことをしたという感触があった)のは楽しかったし、後半は脚本のブレもそういうものだと認識して「どれだけブレるか、どれだけ予想から外してくるか」って見てゲラゲラ笑ってました(純粋な楽しみ方ではないけど)。

まあそんなこんなでアニメ自体が好きだったので映画も楽しみでした。それは純粋にアニメの続きを見たいからとどれだけぶっ飛んだ(多くの人がいうクソ)脚本になるかという気持ちからで、どんな映画が来ても楽しめたと思うのでそういう意味では最初から勝ってたなあと思います。

ただ、アニメでぶっ叩いてた人が多くいたように映画をもぶっ叩く人が出てその人達を見たせいで映画に行きたくなくなるというのが一番イヤだったので感想が世に出回る前、公開初日に見に行きました。(自分のこのブログもそういう役目を担ってるかもしれないので最初に言っておきます。艦これ映画見ようかな、と言う人はできるだけ感想に惑わされず自分の気持ちを優先して下さい……!)

 

以下ネタバレあり

 

 

 

 

 

 

ブログの頭でアニメに触れたのは「映画も楽しかったけど俺はアニメも楽しかったから、自分の感覚と違う人は全く楽しめないかもしれない」と思ったからです。

最初に言ってしまいますけど皆さん艦これのアニメにカタルシスとか感動を求めてるんですかね。求めている人は絶対あの結末には納得しきれないと思うしtwitterでもそういう意見は耳にします。自分は感動とかは求めていなくて、艦これ映画に求めていたのは「アニメ脚本の挽回」と「アクション」です。

アクションは戦闘の見せ場を作画でやっていたり、艦載機のCG戦闘でもカメラワークや爆発エフェクトを活用して盛り上がるものになっていました。アニメではそこまで出てこなかった妖精もせっせこ働いて戦闘を支援してて「あー妖精ってこんな感じなのねー」って納得いきました。それと妖精が乗った艦載機はどんどん撃墜されてて「あーこんな感じで死ぬのねー」とも思いました。艦娘が沈まなきゃ妖精はいいんかい!ってのは笑いました。

天龍が牙突めいて剣を活用して相手の球を避けつつ狙いを定めて敵を撃つのも、敵が近づいて来た時に艦娘が格闘技っぽい構えを取るのも深海棲艦が吹雪の顔を掴んで砲撃を絶対当たるようにするのも、大和が文字通り体を張ってスライディングホテルブロックで魚雷を受けて吹雪を庇うのも面白かったです。夜戦あんなにわくわくするんだ。

 

問題の「アニメ脚本の挽回」は映画を見ていて一番興味深かったんですが、アニメ3話で史実どおりだから、って言って何の前フリもなくいきなり如月を沈めたアニメ脚本ですが、その過ちを拭い去るため映画では「如月を殺し直し」ます。

想いの強い艦娘は深海棲艦化し、深海棲艦を倒すことで艦娘に戻すことができる、との艦これ世界設定(すっげえネタバレ)で、その理論に則り如月は睦月以外の記憶を失い睦月の元へ帰ってきます。でも如月は深海棲艦化していて元に戻すには深海棲艦化した如月をしっかり沈めるしかない。結局浄化の光で如月は消えるんですけど如月の想いの強さの源は、アニメで「如月ちゃんが帰ってきたら言いたいことがある」と睦月に言われたものの沈んでしまって「睦月としっかりお別れができなかった」ことでした。それが成就されたんで「如月の死」としては納得いくものだったんじゃないかな、と。この納得いく終わりにするには史実どおりに如月を殺して「運命には抗えない」ってことを提示した後で「吹雪の運命を変える力(アニメでしっかり触れて、映画ではちょっぴり触れた)」で如月がしっかり未練なく死ぬのが正しい手順だと思うのでこの殺し直しは如月の突然死でショックを受けた提督には嬉しいんじゃないかなあ、と想います(自分は如月提督じゃないし如月提督に話を聞いたわけでもないんで想像するだけですけど)。

更にその後「深海棲艦化した艦娘は倒すことで艦娘に戻る」という設定のもと帰ってきます。そこまで如月は手厚く扱われてます、よかったね。

まあ「想いの強い艦娘は深海棲艦化し、深海棲艦を倒すことで艦娘に戻すことができる」設定は都合良すぎるだろ!!!!って感じなんですがなんてったってこの世界は「艦隊これくしょん」です。「艦隊をこれくしょん」するのが原則の世界ならこれほど合理的なシステムもないような気がします。

ただ、映画のピークを飾る、吹雪が深海棲艦という沈んだ艦娘の無念や生への妬みと折り合いをつけるシーンがとってもアニメエヴァっぽいくせに映画の中であんまり吹雪は葛藤とか悩んだり考えたりしてないんでそこに感動したり心揺さぶられたりはしないんですが。

まとめると「めちゃくちゃ感動できるわけじゃあないけどアニメの欠点はちゃんと挽回してるし納得いくものだったよ」ってのが自分の感想です。見返してみて変だったら編集とかしますけどとりあえずはこんな感じです。

 

以下は上で言いたかったことから外れる箇条書き感想です

・吹雪のブラ紐見えるのめっちゃよくなかった?

・提督としては吹雪を育てて運命を変えようと思ったのなら3話で如月が沈んで「運命はまだ変えられてない」と思い、4話で吹雪のLv上げをしたのかなあ(4話の編成は完全に吹雪育成編成なので)と思うと3話から4話の繋がりは多少はあるのかなあと

・でも提督でなくてよかったね

・「沈んでも一周すれば戻ってこれんじゃんw」って瑞鶴が言ったのはアレ僕も思ったけどそれ言っちゃうかーって感じ

 

ジョジョは飛行機がよく落ちる。

ジョジョの奇妙な冒険ってなんであれだけ飛行機が墜落するんですかね。

今回話したいのは乗った飛行機が必ず墜落するジョセフ・ジョースターではなく、そのひ孫の空条徐倫についてです。(ひ孫だったんだ……)

徐倫は作中で搭乗はしませんが『アンダー・ワールド』によって過去に墜落した飛行機に乗せられて墜落しそうになります。(言葉だけ見ると意味不明でエンポリオ徐倫から電話をうけて「はぁ………」ってなるところがとっても好き)

あの時徐倫たちは生存者の席に座ることで死を回避したけどもその席は後ろから2番目の中央51D,Eの2席。最初読んで「なんで席後ろなんだろう」と考えて「まあなんとなく後ろ助かりそうだし主人公たち走らせたいんかなー」とか考えてました。

そしたらこの前、日航機事故の事件後処理に携わった人の話を聞くことができて(その話も興味深かったんですが大勢亡くなった事件の詳細だったのでそこは書かないことにします。)そこで「この時の生存者は後部座席の中央寄りで、この事件後には飛行機の座席は後ろからどんどん埋まっていった」と聞きました。

30年も前のことで自分はその時生まれてなく、その事件の詳細もよく知らなかったので今も飛行機乗る時に後ろの席が良い!なんて感覚は勿論ありません。(や、もしかしたら自分の知らないところで飛行機の席は後ろから埋まっていってるのかもしれないけれど……)

ただ、あの事件をリアルタイムで追っていた人たち、ジョジョの荒木先生も30年前は魔少年ビーティーを描いていた頃でかなりインパクトがあったのかなあとか想像してます。

 

今僕らがそういう感覚がないのは尽く飛行機事故が身の回りでほとんど起きてないからだと思うしそもそもあの鉄の塊が空を飛ぶことに対して大きな恐怖や不安はありません、格安航空機とかでも。

考えてみれば一歩間違えば500人の命が一瞬にして消し飛ぶ可能性もあるわけでよくそんなものが当たり前になってるな、と改めてみると不思議です。

でも「可能なことは実現される」という言葉(多分自分が見たのは屍者の帝国)からしてもどれだけ危険や倫理的な問題を孕んでいても可能であれば実現して人は慣れていくような気がします。(iPS細胞で人の精子から卵子を作ったとかなかったっけ……)

これから何が当たり前になっていくのかわからないですけど思いもよらないことが当たり前になっているんだとしたらそうなっちゃう自分が少し怖いなあ。

 

おしまい

今度バーガーキングのワッパー食べてみたいです。